大阪地方裁判所 平成8年(ワ)5145号 判決 1999年7月19日
原告 A野花子
<他1名>
訴訟代理人弁護士 田村博志
被告 寺井英人
訴訟代理人弁護士 小野範夫
主文
一 被告は、原告らそれぞれに対し、金八一万九九三三円及びこれに対する平成七年六月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、これを一〇分し、その九を原告らの負担とし、その一を被告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一 主位的請求
被告は、原告らそれぞれに対し、金二五二一万八三九五円及びこれに対する平成七年六月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 予備的請求
被告は、原告らそれぞれに対し、金二八七九万三三〇〇円及びこれに対する平成六年三月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 訴訟の対象
民法七〇九条(交通事故、人身損害)
二 争いのない事実及び証拠上明らかに認められる事実
(1) 交通事故の発生(《証拠省略》)
① 平成六年三月七日(月曜日)午前一時一五分ころ(晴れ)
② 大阪市西淀川区竹島五丁目九番三二号先路上
③ 被告は、普通乗用自動車(なにわ××ね××××)(以下、被告車両という。)を運転中
④ 亡A野一郎(以下、亡一郎という。)(昭和四六年一〇月一三日生まれ、当時二二歳)は歩行中
⑤ 事故態様の詳細は後記のとおりであるが、被告車両が道路内を歩行中の亡一郎と衝突した。
(2) 責任
被告は、前をよく見ないで運転し、亡一郎に衝突した過失がある。したがって、民法七〇九条に基づき、損害賠償義務を負う。
(3) 亡一郎の死亡
亡一郎は、本件事故から約一年三か月後の平成七年六月五日、大阪市西区江之子島一―一〇―一五にあるマンションの一二階から転落して死亡した。
(4) 相続
原告らは、亡一郎の父母である。
三 原告らの主張の要旨
(1) 主位的請求の原因
亡一郎は、本件事故により、脳挫傷などの傷害を受け、精神分裂病になり、自殺した。本件事故と自殺との間には相当因果関係がある。
損害は、別紙一Aのとおりである。
(2) 予備的請求の原因
仮に、本件事故と自殺との間に相当因果関係がなくても、亡一郎には後遺障害が残った。
損害は、別紙一Bのとおりである。
四 争点と被告の主張の要旨
(1) 過失相殺
亡一郎は、夜間、暗い道路の中央付近を歩行しており、六〇パーセントの過失がある。
(2) 本件事故と死亡との相当因果関係
亡一郎は、本件事故前から精神分裂病、シンナー中毒の症状があり、これらが原因で死亡したから、本件事故と死亡との間に相当因果関係はない。仮に、因果関係があったとしても、本件事故が死亡に与えた影響は三割を越えない。
また、本件事故と死亡との間に相当因果関係がなく、亡一郎が本件事故により後遺障害を負ったとしても、その等級は一二級程度であったと思われる。
第三過失相殺に対する判断
一 《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。
(1) 本件事故は、直線の南北道路上で発生した。
南北道路の周辺は市街地であるが民家がなく、夜間は、交通が閑散で、街路照明や会社の照明がなく暗い。勾配が南方面へ下り五/一〇〇ある(北が高い。)。
南北道路は、歩車道の区別のない片側一車線の道路であり、一車線の幅員は約四・五メートルである。道路中央には、黄色実線の中央線が標示されている。最高速度は、時速四〇キロメートルに規制されている。
(2) 被告は、前照灯を下向きにして、時速約四〇ないし五〇キロメートルで走行していた。
北行き車線のうちの中央線付近(被告車両の右側のタイヤが中央線上を走行する位置)を走行中、衝突地点の約三八メートル手前で、勾配があり、進行方向が高くなっていたので減速した。
さらに、約三一メートル進み、北行き車線のうちの中央線上で(被告車両の中央が中央線上を走行する位置)、前方約七メートルの中央線付近に亡一郎がいるのを見つけ、危険を感じ、急ブレーキをかけた。
しかし、約七メートル進み、中央線上で(被告車両の中央が中央線上を走行する位置)、被告車両の前部の中央付近と亡一郎が衝突した。
被告車両は、さらに約九メートル進んで停止した。亡一郎は、衝突地点から約一九メートル前方に転倒した。
現場には、スリップ痕が約六・五メートル残っていた。
(3) 照射実験によると、前照灯を下向きにした場合、衝突地点から約二〇メートル手前で、亡一郎を発見できる。また、前照灯を上向きにした場合、衝突地点から約四八メートル手前で、亡一郎を発見できる。
二 これらの事実によれば、被告には、前をよく見て走行しなかった過失がある。しかし、衝突前に亡一郎を発見することが可能であったとはいえ、暗い道路であったから実際には発見は難しかったであろうと思われる。
また、歩道がなかったとはいえ、夜間、暗い道路の中央付近を歩行していた亡一郎にも過失がある。そして、亡一郎は、被告車両が進行してくるのがわかったはずであるから、事故を避けることもできたはずである。したがって、亡一郎の過失は決して小さいとはいえない。
これらの事情を考えると、被告と亡一郎の過失割合は、五〇対五〇が相当である。
第四相当因果関係に対する判断
一 《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。
(1) 亡一郎は、本件事故後、大阪市立総合医療センターで診察を受け、急性硬膜下血腫、脳挫傷と診断を受けた。
初診時に強度の意識障害、瞳孔不同があり、CTスキャンによると前記のとおり診断され、直ちに手術(開頭術、血腫除去、骨弁除去)を施行した。二日間意識障害が続いたが、術後経過は良好であった。ところが、奇異な行動、記銘力低下が目立ち、精神科病棟で精神科的管理を要することになった。同年四月四日、頭蓋骨形成術を施行した。しかし、精神科病棟においても管理が困難となり、同月二六日に退院した。
退院後、同年七月一二日まで三日通院したが、同日には、幻聴、独語、不眠などの症状がみられた。さらに通院を指示されていたが、受診しなかったので、治療中止とされた。
(2) 亡一郎は、同年七月二二日、久米田病院で診察を受け、精神分裂病、脳挫傷後遺症などと診断され、同日から同年一〇月七日まで七八日間、入院した。
亡一郎に同行した原告らや亡一郎の説明などを総合すると、次の事実が判明した。亡一郎は、シンナー補導歴があり、平成五年一二月ころから仕事中ぼんやりしたりするようになり、平成六年一月には父親(原告A野太郎)と口論した後仕事に行かなくなり、次第に徘徊が見られるようになった。道に迷ったり、歩いていたら知らないところに行ってしまうという状態であった。平成六年三月七日本件事故にあい、注意集中困難、記銘力低下の後遺症が残った。退院後は母親(原告A野花子)と同居を始めたが、ベッドに寝ていると背中を押されたり、目を閉じると漫画のように大軍に襲われたり、恐ろしいイメージが喚起されたりした。診察を受ける二週間前からは幻声があらわれ、殺したるとか、命令とか、いろいろ聞こえたりした。考えていることが筒抜けになる感じも出てきた。母親が悪口をいいふらしていると思ったりもした。このように、同年五月以降、精神分裂病の症状と考えられる幻視、幻聴、妄想が出現し、これらのため、母親への暴力(母親は当時ホテルに避難中)や、放火などの危険行為をするようになり、同病院での診察を受けることになった。ほかに、亡一郎は、自覚的には、考えられないとか、すぐ忘れてしまうということがあった。
(なお、亡一郎は、平成五年一〇月二日に毒物及び劇物取締法違反で大阪地方検察庁に送致され、同月八日略式請求され、同月二三日確定している。)
入院後は、向精神薬の投与、精神療法が行われ、脳挫傷に対しては、抗てんかん剤などが投与された。その後、幻覚体験は軽微なものとなり、妄想を語ることはなくなり、感情面での安定性もみられるようになり、症状が改善され、平成六年一〇月七日退院した。
ただし、退院時点でも、通院治療の継続を要する状態であった。
(3) 亡一郎は、同年一〇月一二日、関西記念病院で診察を受け、幻覚妄想状態、脳挫傷後遺症と診断され、入院した。入院時は、空笑、不眠症があり、情動不安定であった。表情は穏やかだが、幻聴が活発で、誰かに首を曲げられる、死ねと聞こえてくるなどと訴えていた。入院して治療を受けていた途中で、シンナーを吸引した。医師に対し、一六歳のときからシンナーを吸い始め、最近も時々吸っていると述べた。同年一一月一六日、シンナーが原因で、強制退院となった。
(4) 亡一郎は、同年一二月六日、小阪病院で診察を受け、頭部外傷後遺症、外傷性てんかんと診断され、入院した。入院時に、何でも自分のものと思いこむとか、幻覚が見えたりとか、空笑などの、幻聴、妄想、思考形式の障害などの幻覚妄想状態があり、ほかに知的レベル低下などの知識障害があった。平成七年一月九日に外出したまま、連絡がつかなくなり、同月一一日、そのまま退院となった。
退院後、亡一郎は悪口をいっていると母親に対し暴力を振るい、母親はホテルに避難して生活するなどしていた。同年二月九日、亡一郎は、嘔吐をして倒れたため、救急搬送され、脳外科で診察を受けたが、治療中に大暴れをし、小阪病院に救急搬送され、同月一〇日、そのまま入院した。入院中の同年三月一七日、外出中にシンナーを吸引し、補導された。警察官は、これまで四ないし五回、シンナーを吸っていたため保護したことがあると説明していた。同月一八日、病院に戻ったが、シンナー離脱症状が現れる可能性があるため、保護室で経過観察をすることになった。医師は、シンナー中毒も疑うようになっていた。平成七年五月三一日、退院した。
(5) 前記認定のとおり、退院後、亡一郎は、平成七年六月五日、転落死をした。駆けつけた消防隊員や警察官は、事故現場で、シンナーの匂いを確認した。ただし、シンナーを吸って錯乱状態で飛び降りたのか、そのような状態で事故で転落したのか、覚悟の自殺かは断定できなかった。他殺の可能性はなかった。どうしてマンションに来ていたかもわからなかった。
(6) 久米田病院(その後独立)の岩橋医師は、当時の診断について次のように述べている。
亡一郎が入院したときは、精神分裂病であると判断した。その理由は、精神分裂病に特有の幻聴、考想伝播があり、症状が事故後四か月経過してから増悪していたからである。これとは別に脳挫傷後遺症があると判断した。その症状は、記銘力障害、集中困難である。
精神分裂病が発症した時期は、発症という言葉の意味にもよるので回答が難しい。ただし、本件事故前から、前駆症状があったと考えてよい。
本件事故と精神分裂病の関係は、本件事故が症状増悪の誘因(引き金)となった可能性はあるかもしれない。
亡一郎はシンナーを吸っていたことがあるようであるが、シンナーと精神分裂病との関係、換言すると、シンナーによる後遺症なのか、精神分裂病なのかの判断は難しい。
(7) 小阪病院の漆葉医師は、当時の診断について次のように述べている。
亡一郎が入院したとき、母親は、本件事故前には全く問題がなかったのに、事故後おかしくなったと説明をしていたし、精神症状が認められたので、頭部外傷後遺症と判断した。しかし、現時点で、ほかの病院のカルテを見ると、本件事故前にも精神症状が現れていたようであり、そうすると、シンナー中毒による中毒性精神病、精神分裂病の疑いもある。入院時にシンナーを吸っていたので、シンナー中毒の疑いは持っていた。
ただし、頭部外傷後遺症としての知的レベルの低下があったことは確かである。
二 これらの事実をもとに、本件事故と死亡との間の相当因果関係を検討する。
(1) はじめに、亡一郎は転落死しているが、その原因が自分の意思で飛び降りたのか、それとも、錯乱状態または事故で転落したのかは明らかではない。しかし、いずれにしても、亡一郎は、死亡前に精神障害を負い、入退院を繰り返して治療を続けていたし、何の関係もないマンションの一二階から転落しているほか、死亡に至る合理的な理由が見あたらないことを考えると、精神障害が原因で転落死したということができる。
(2) 次に、亡一郎が死亡時に負っていた精神障害の原因を検討する。
確かに、亡一郎は、本件事故前からシンナーを吸っていたこと、本件事故の直前ころはぼんやりしたり、徘徊したり、道に迷ったりするなど精神障害の徴候が現れていたこと、本件事故態様にもそれが窺えること、本件事故後は精神分裂病に特有の症状が現れたこと、その後症状が悪化し、入退院を繰り返し、精神療法を施行したこと、しかし、その後もシンナーを吸ったこと、亡一郎が転落死した現場でもシンナーの匂いがしたことなどの事実が認められる。これらの事実によれば、亡一郎は、本件事故前から、精神分裂病、またはシンナー中毒による精神障害が発症していたと考えることが自然である。
(3) しかし、他方、亡一郎は、本件事故前、精神障害の徴候があったとはいえ、その程度は必ずしも重くはないし、医師の治療を受けたりしていないこと、本件事故後、奇異な行動が目立ち、精神科的管理を要することになったこと、医師も、本件事故が誘因となった可能性は否定できないと考えていること、脳挫傷による明らかな後遺障害として記銘力低下、集中力困難があったが、これが転落死に影響を与えていないとまではいいきれないことなどが認められる。これらの事実によれば、本件事故が精神障害、さらには転落死に与えた影響をまったく否定するのは難しいと思われる。
(4) これらの事情を総合すると、本件事故と精神障害、さらには転落による死亡との間には相当因果関係が認められるが、亡一郎には精神分裂病、シンナー中毒などの素因があり、これらの分を減額することが相当である。
そして、亡一郎には本件事故前から精神障害の徴候があらわれていたこと、本件事故後もシンナーを吸っていたこと、本件事故から一年以上経過してから転落死したことなどを考えると、本件事故が与えた影響よりも、素因の影響の方が大きいということが相当である。
したがって、素因減額の割合を七割とすることが相当である。
第五結論
一 したがって、原告の損害は、別紙二のとおり認められる。
二 補足すると、休業損害については、前記認定によれば、亡一郎は、本件事故当時、就労の可能性が低かったが、全くなかったとまではいえないと認められる。したがって、平均賃金三〇二万一〇〇〇円に休業期間一五か月を乗じた額の五〇パーセント相当額である一八八万八一二五円を休業損害と認める。
三 なお、前記認定によれば、本件事故により後遺障害が残った旨の予備的請求原因は認められない。
(裁判官 斎藤清文)
<以下省略>